Professor Nils Holmer と Dr. Eugenio Coseriuの論文
1969年の10月9日に築地のガンセンターで浅井恵倫先生は亡くなられた。葬儀も終わった後、 幾美夫人より先生の蔵書(5,60坪位の庭の隅にプレハブ小屋がありそこに蔵書が納められていた) の処分について相談を受けた、取りあえず蔵書目録を作成しましょうということになり、 自分のタイプライターを持参し、担当分野を私は所謂横文字の本、 また林衡立さんは日本語・中国語等の本を担当することにして、目録作成が開始された。
到底すぐには終わらないので毎週週末(当時都内の会社勤めで、まだ土曜日も半ドンでそれが終わると湘南 電車に乗り夕方到着し、泊まり込みで土曜日の夜から日曜日の夕方までタイプライターへの打ち込みを行った)
そんなことをやっていたある日、オーストラリアより浅井先生宛に手紙が来ており、夫人より相談を受けた (夫人はフェリス女学院を卒業され、また若い頃から神父さんに英語を習っていたとのことで、 浅井先生より英語は上手であった、ようなことを伺ったことがあるが、無論すでに確認のしようがない)。 その手紙には「近々、学会に出席のため東京に滞在する、是非お会いしたい」旨の用件がしたためられていた。差出人はNils Holmerとあり、“どこかで見たような名前だな”と思ったが、“佐藤君、事情を書いて返事を出しておいて下さいね”ということになり、私が先生は亡くなられたことなどをしたため、手紙を投函した。Nils Homerなる名前はこれまで浅井先生の口から伺ったことはなく、どのような関係の人かよく判らないが、どこかで聞いたようなお名前だなと思い、帰宅後に自分の蔵書を調べてみた。 Uruguay Montevideo大学の紀要《Revista de la Facultad de Humanidades y Ciencias》、1954, 12号に Eugenio Coseriuの論文《Forma y sustancia en los sonidos del lenguaje》p.143-217と同じ号に《Apuntes comparados sobre la lengua de los Yaganes(Tierra de Fuego)》 Profesor de la Universidad de Lund, Sueco,という論文が掲載されてるのを発見する。
この大学の紀要を所有していたのは、学生時代にEugenio Coseriuの論文
《Sincronía, Diacroní e Historia, el problema de cambio lingüístico》という論文が
この紀要に掲載されていることを知り、上記の論文と併せて、
神田のイタリア書房に注文していたところ上記の12号は入手できた。しかし、
一番入手したかった後者の論文(1957年15号)
は入手することができなかったのである。《Sincronia ..》
のロシア語訳が出ていることを知り、ナウカに注文してみたがこれも入手することはできなかった。
【ロシア語は浅井先生の課外授業で2,3ヶ月ほど習っただけで、無論ものにはならなかった
<生徒がどんどん少なくなり、そのうち、生徒は言語学をやっている2名だけとなり、
言語学雑談風講義となったが、その時にTrubetzkoyとか、
Baudouin de Courtenayなどの名前が頻繁に出てくる講義となり、何となくロシア語の勉強は終わってしまった】。
【この時に少し習ったロシア語ではあるが、それから25年後仕事でサハリン出張があり<ピートモス
の輸入のための商談ということであったが、ソ連邦崩壊後の混乱のためか、実らず>、この時に
商店名等のロシア語で書いてある看板などを声を出してゆっくりと読んでいると、”オー佐藤はロシア語が
できるぞ!、などと言われて困惑したものである】
その後1ケ月ほどして、Nils Holmer氏(当時はオーストラリア在住)より航空便が届き、 「浅井先生にはこれまでお会いしたことはないが、 Indonesian languages(ヤミ語含む) に関心があるので日本に行った時に是非色々とお話がしたいとの会いたいと思っていたのに大変に残念である。 もし時間がとれるようであれば浅井先生について色々と話を伺いたい」という旨の内容が認められていた。 奥様はこの手紙を読み、「それでは、会った時に、この本をお渡しして下さい」と言われ、 浅井先生の著書2冊、(翻刻版の『原語による台湾高砂族伝説集』と『Sedic language of Formosa』を渡された。
Holmer氏が来日され自宅に電話が掛かって来た、電話に出た英語のできない母ではあるが、咄嗟に「ヨシマサ、オフィース!」と伝えたところ(外人さんと電話で話して、ちゃんと英語が通じたのよ!というのがそれからの母の自慢話となる)、当時勤めていた会社に電話が来て面談の日時を約束し、2,3日後に滞在先の帝国ホテルでお会いすることになった。
お会いしたときには、小生からは言語学の専門にわたるトッピックスを論じあえるような知識もなく、もっぱら最晩年の浅井先生を身近に知る一人として、先生の人となりや学問に対する真摯な姿勢などについてお話し (大学の1,2年生の時に英会話という授業があり、“俺は、英会話などという英(米)国人ならだれでもできる、アホなことを勉強するために大学に来ているのではない、”との信念から頑なに一言も発しないまま終えてしまったので(しかし英国人の先生はなぜか単位くれた!)、大変に心配してお会いしたのであるが、 言語学の話題になると、比較的すらすらと話ができたのには驚いた記憶がある)、 奥様より預かってきた著書を「今後の研究に役立てて下さい」との口上を添えてお渡しした。 その後、雑談になり私の方より、ウルグアイで論文を出された経緯等を伺い、 またCoseriu氏についてお聞きしたところ、同氏は現在ドイツの大学に奉職しており、面識もある、との話を伺った。 それで自分のこれまで興味を持っている分野等を説明し、Holmer氏に 上掲論文掲載の紀要をお持ちであればコピーでも入手したいとのお願いをしたところ、帰国して調べてみるとのことでお別れした。
このことを忘れかけていた4ヶ月後くらいに、サイン入りの論文がEugenio Coseiru氏より直接送られてきたのは、1971年1月19日であった。早速礼状を投函した。
この本がオリジナルの印影翻刻版でドイツ、チュービンゲンで1969年に出版されたものである。
【研究社より出ている『英語学人名事典』には、それぞれの英語(言語学)者のサインが参考として印刷されている、
しかしEugenio Coseriuの項目はあるが、サインはない。これが唯一の日本におけるCoseriuのサインか!】
ということで長年入手したいと思っていた論文を、手にすることができたのである。
これも浅井先生の外国での知名度のお陰であったのである。
【補遺】
(その後、この本を読み、日本で最初のCoseriuの翻訳書として出版したいとの願いもその後、
高名な言語学者である亀井孝、田中克彦両氏の翻訳書が出版され、夢は儚くも消えたのである。)
(浅井先生の蔵書は、現在AA研に「浅井文庫」として保管されている。)
佐藤好正 '01-10-17 記
参考までに、NACSIS Webcatで「Nils Holmer」を検索したところ、下記の論文等が見つかった。
1. Cuna chrestomathy / by Nils M. Holmer. -- Etnografiska Museet, 1951. -- (Etnologiska studier ; 18)
2. Indian place names in Mexico and central america / by Nils M. Holmer. -- Lundequistska Bokhandeln, 1964. -- (Essays and studies on American language and literature / edited by S.B. Liljegren ; 16)
3. Indian place names in North America / by Nils M. Holmer. -- Lundequistska Bokhandeln, 1948. -- (Essays and studies on American language and literature / edited by S.B. Liljegren ; 7)
4. John Campanius' Lutheran catechism in the Delaware language / by Nils G. Holmer. -- Lundequistska bokhandeln, 1946. -- (Essays and studies on American language and literature / edited by S.B. Liljegren ; 3)
5. Linguistic survey of south-eastern Queensland / by Nils M. Holmer. -- Dept. of Linguistics, Research School of Pacific Studies, Australian National University, 1983. -- (Pacific linguistics ; Series D ; no. 54)
6. Notes on some Queensland languages / Nils M. Holmer. -- Dept. of Linguistics, Research School of Pacific Studies, Australian National University, 1988. -- (Pacific linguistics ; Series D . Special publications ; no. 79)
7. Notes on the Bandjalang dialect spoken at Coraki and Bungawalbin Creek, N.S.W. / Nils M. Holmer. -- Australian Institute of Aboriginal Studies, 1971. -- (Australian aboriginal studies ; no. 32 . Linguistic series ; no. 11)
8. Studies on Argyllshire Gaelic / by Nils M. Holmer. -- Almqvist & Wiksell, 1938. -- (Skrifter utgivna av K. Humanistiska vetenskapssamfundeti Uppsala ; 31, 1)
9. The Ojibway on Walpole Island, Ontario : a linguistic study / by Nils M. Holmer. -- [Private reproduction]. -- AMS Press, 1980. -- (Upsala Canadian studies ; 4)
10. The Ojibway on Walpole Island, Ontario : a linguistic study / by Nils M. Holmer. -- Lundequistska bokhandeln, 1953. -- (Upsala Canadian studies ; 4)
11. The character of the Iroquoian languages / by Nils M. Holmer. -- Lundequistska bokhandeln, 1952. -- (Upsala Canadian studies ; 1)
12. The complete Mu-Igala in picture writing : a native record of a Cuna Indian medicine song / by Nils M. Holmer and S. Henry Wassen. -- Etnografiska Museet, 1953. -- (Etnologiska studier ; 21)
13. The revolt against Romanticism in American literature as evidenced in the works of S.L. Clemens / S.B. Liljegren. -- Kraus Reprint, 1973. -- (Essays and studies on American language and literature / edited by S.B. Liljegren ; 1-8)