第5章
歴史的問題としての言語変化
《発生的》説明の意味と限界
1.1.言語変化の第3の問題(ある所与の変化またはある言語での一連の所与の変化の問題)は、常に歴史的な問題であり、その解決は考察対象の言語の(体系的また体系外的)歴史的条件の知識や、その言語の考察されている特定の時期に依存している。すでに述べたように、この第3のタイプに属する諸問題の解決は、変化の一般的問題(これが帰納を必要とする限りにおいて)の問題設定のために必要な資料を提供する。そしてこういう意味で、言語変化の《条件的》説明は、《一般化された歴史的説明》である(第2章4.2.および第4章1.1参照)。一方、歴史的問題は、言語のダイナミックな現実を考慮に入れ(第3章参照)、変化の一般的条件について認識することによって(第4章参照)のみ設定しうるものである。それで言語変化の第2と第3の問題 ―これらは経験的問題としては唯一の合法的なものである― は、相互依存的な問題であり、相互的に解明される。しかしこれと同じような関係は、これら2つの問題と言語の変動性の合理的問題との間には存在しない。
1.2.残念ながら(あれやこれやの変化の)歴史的問題の設定は、特に音声変化に関する因果律の物理的観念によってもまた影響を受けているのが見て取れる。こういう事実に加えて、これらの問題を抽象的言語の側面において設定するということが付け加えられるのである。このことから、最初の改新の問題を根本的なものと考え、またあらゆる特有な問題を当該の変化の(仮説的)《起源》を推定したり措定したりすることにより、解決されたとする傾向が出てくるのである。このことは、具体的な言語においては1つの音素aとか、1つの語Aというものは存在せず、話し手が、その音素を単に使用しその語を知っているということにすぎないのであることを忘れていることによるものである。抽象的言語の音素や語は、各個人の言語知識に含まれている《第1段階》の様式やモデルに対応しているところの《第2段階》の抽象的様式やモデルである。そしてこの各個人の言語的知識は、一時的な改新によっては変化しない(第4章3.1参照)。
1.3.1.これに関して最も悲しむべき例としては、不合理な生理的《説明》がある。事実、特有言語で音素 x から音素 y に移るために(有機体としての)言語は、あれやこれやの運動を実現しなければならなかったとか、(中間位置を通って)位置 p より位置 q に移動しなければならなかった、などと言われる。しかしこれは問題の変化については、 決定的なものとしてはなにも説明していない。つまり音素 x の実現体から音素 y の実現体に移動するために常に必要な運動は何かということについて語っているにすぎない。 言い換えれば、調音の生理学の問題を解決しているにすぎず、設定されている歴史的問題を解決しているのではない。舌(lengua)と硬口蓋の接触点の前方への移動は、 ラテン語の ke や ki の進展にとって《動力因》であったということを確認するのは一体何を意味しているのか(1)。《舌(lengua)》という時には、どの、だれの舌を言っているのか。
この場合問題になっているのは、言語についてであろうか、または舌についてであろうか。特有言語は、発声器官ではなく、個人間的知識である。《言語》(Sprache)は舌(Zunge)をもっておらず話し手が舌を持っている。しかし話し手は舌を移動させることはない、つまり一斉に言語の音声的実現体を変容するために舌を移動させることはないのである。
1.3.2.ラテン語の軟口蓋音の口蓋音化に関して、
A.Burgerは『音声学はその経緯(如何に)を説明するが、その理由(何故)をわれわれに明らかにしない』(2)
と言う。しかしもし《変化》としての口蓋音化について論ずるとすれば、音声学はその《理由》もその《経緯》も説明しないというのが正しい(第3章3.2.1参照)。音声学的な経緯は、発生学的、生理学的であり、歴史的でも文化的なものではない。それゆえ音声変化の音声・生理学的説明は、問題があるとか、間違っているとかいうことではなく、単に不合理なだけである。それらの説明は抽象的で個人間的な言語と具体的で個人的な発話との混同に基づいている。確かに、
上で引用した著者[P.E.Guarnerio]は、ラテン語の体系でのke, kiから
,
への移動は、生理的な交替をともなって(または個々の類似の種々の交替をともなって)、具体的言語活動において始まったと解している、しかしながらこれは変化そのものを説明しておらず、ただその変化の前に推定される改新について何事かを述べているにすぎない。実際、《変化》は改新とともに始まるのではなく、採用とともに始まるのである(第3章3.2.1参照)。そして新しい言語的様式の個人間での受容としての変化は、生理的説明を受け入れることが出来ず、ただ文化的・機能的用語での歴史的説明を受け入れる歴史的現象である。説明しなければならないのは、採用の連鎖についてであり、言語的採用は生理的なものではないし、またそういうものではあり得ない(第3章3.2.2と同章中16参照)。
1.3.3.
音声変化の生理的《漸次性》という観念もまた上と同じ混同にもとづいている。それによると、もし言語(Sprache)が発声器官と同一視できないというなら、変化とはその初源の改新からのそれぞれの漸次性と解さなければならないだろう。実際、言語が物理的存在や連続性を持たないとするなら、しばしば設定される《非知覚的変化》が保存されたり、お互いに融合したりする可能性はないことになる(第3章注32と同章4.4.5参照)。加うるに、もし変化が言語の存在それ自身の様式に属するとすれば、ある実現体から他の実現体への段階的移行という《無意識的変化》、たとえば有声子音の段階的無声音化とか、短母音の段階的長音化、等々は果たしてこれまで論証されたことがあるかどうか問いただしてみる必要がある。実際に論証されることと言えば、常に最も新しい様式、つまり選択可能な異形と《闘争している》旧い音声的様式である。新しい音声様式は、話し共同体において《散発的》なものとして論証される、しかし《漸次的》なものとしては論証されない。《非知覚的》変化という幻想は、変化の問題を抽象的な言語の側面で措定する際に、
外延的漸次性と内延的漸次性を混同していることに根ざしている(第3章4.4.2参照)。これはつまり種々の異形間の頻度の違いを、ある異形から別の異形への移動の生理的段階性と解釈しているのである。それでたとえば、
ウルグアイのスペイン語の音素
はしばしば
/
/
と実現される。つまりある話し手は
常に
/
/
と発音し、別の話し手はこの異形を気の向いたときに使用するということである。
それゆえ、ウルグアイのことばでは、
《
の有声性は段階的に消失せんとしている》と言うことができる、しかしこれはただ実現体
/
/
が、段々と頻繁になっているということを意味するにすぎず、有声の
から少し有声がなくなった
への無意識的移行によって
に達するのである、ということを意味しているものではない。《漸次性》は、考察対象の音声様式の一般化に属しており、(改新と採用としての)音声様式の出現には属していない。それでこれとは別の存在の仕方はないので、音声的改新や採用は瞬間的行為である限り、生理的漸次性を有することはない(第3章注35参照)(2-bis)。
2.1.この第3番目のタイプの問題に固有の困難さは、多分、変化についてのあらゆる問題のまずい問題設定とあいまって、《言語変化の原因は知られていない》(3)と言うにいたった理由の1つとなっている。実際ある意味で、または最も一般的な意味で、所謂《原因》は未知ではなく、完全に知られており、毎日毎日観察されていることである。それゆえ原因は発話の条件そのものと合致し、あらゆる話し手の日々の経験に属している。また別の意味で、文化的機能的限定素としての変化の《原因》は、《言語》の一般的諸条件から帰納できるものであり、十分に文献に残っているあらゆる歴史的言語にとっては、かなりの程度探求可能である。
2.2.1.また上記のような意図のもとで、変化と改新が混同されるということもおこる。改新の諸タイプは一般的に知られている、がしかしある特定の最初の改新は、その特定の変化にとって仮説的にしか設定され得ない。言語学的に言えば、われわれは改新が多くの人によって採用され、それが《変化》となった時にその改新を認知しているのである。そしてある語彙的または、別に文献に残っている例を除いて(第3章注36参照)(4)、改新者その人や、改新の瞬間そのものに到達することは不可能である。
絵画の技術的様式の《起源》を見つけだすとか、誰によって描かれたのか、どの絵を最初に描いたのかを特定するのは相対的に容易である。なぜなら画家の数はそう多くはないし、また絵もそう膨大なものでもないからである。しかしある音声的様式が、だれによって、どういう言語的行為において、最初に行われたのかを特定することは出来ない、なぜならあらゆる人間が話しており、かつ言語行為は経験的に無数にあるからである(5)。
こういう意味においてのみ、言語的変更の諸原因は《観察者の到達範囲》(6)にないものであるとするSaussureの立言を受け入れることができる。しかしこれは《変更》一般の諸原因(これはすでに《変更》ではない)ではなくして、ある特定の《変更》(最初の改新)の原因についてである。これと同じ意味で、もしわれわれが資料を自由に使うことが出来ないとすれば、743年に中国を支配していたのは誰か、と言うことも判らないし、また戦争の一般的諸原因を知っているからといって、ペロポネソス戦争の原因について探求しなければ、その原因すら知ることは出来ない、というのは普遍的知識とか発生的知識は特定の歴史的文献と取って替えることはできないからである。言語史のある特定の事実に関しては、文献による証拠固めは他の分野よりずっと困難で不正確であり、多くの場合資料をまったく欠いている。
2.2.2.事実、各言語変化の最初の起源や初源の改新の本性などに関しては、われわれにできるのはせいぜい多少とももっともらしい仮説を前進させることだけである。それで所謂俗ラテン語で混同された-asで終わる複数主格の場合には、(蓋然性の小さなものから大きなものへと順序をつけて)3つのことなった答えが与えられている、つまり:
1)旧い様式の再生化、言い換えれば、選択という現象にかかわるもの:
2)複数主格の対格の一元化(-es/-es, -us/-us)、言い換えれば、《類推》または体系的創造の現象にかかわるもの:
3)イタリア語の文法の様式の拡大、即ち文法的借用(7)にかかわるもの。
e, i の前のラテン語の軟口蓋音の口蓋音化について、われわれはラテン語の音韻体系は硬口蓋音序列に自由な音域を示しており、この変化は多くの変化と同様にラテン文化の衰退や、それによるローマの言語的規範の弛緩によって伝播し、一般化されえたので、硬口蓋音が出現したと言える。しかしながら、改新や初源の改新の本性に関する場合には、種々の解答を与えうる。それでこれを(結合的)生理学的変更にかかわることとして、取り扱いうる、しかしこれは最も蓋然性の乏しいものである。一方呼格(Marce)や指小辞(ocelli)や情意辞(cicaro)などにke, kiがあるので情意的または《表現的》変更の可能性を排除しないよう勧める、しかし一番蓋然性のあるのは、これはオスコ語の現象と関係しているのではないかと考えてみることである(8)。そして最初の改新者個人に遡及することは不可能であるので、上の2つの例のどちらも指摘された《理由》の2つ(または3つ)とも同じ改新において、または別々に資料的に同類の様々な改新において一体となって作用していたのかも知れない、ということを排除することはできない。
2.2.3.しかしすでに示したように(第3章3.2.3参照)、各変化において最初の改新者や初源の改新にまで遡及しようとする際の困難さは、普通乗り越えられないものではあるが、これは経験的な困難さであり、理論的(理性的)困難さではない。各変化においてわれわれが通常無視するのは、瞬間的な歴史的事実であり、一般的序列にある《理由》ではない。そして多少とももっともらし仮説をわれわれは前進させ得るという事実は、諸改新の一般的《諸原因》をわれわれは知っているということを意味している。事実その発生的説明が不明である現象について、(個別的な説明によって)歴史的仮説を措定するのはまったく不合理である。
2.2.4.無論この経験的不可能性は、変化がある個人の創造的行為以外の別のやり方で始まり得たと推定するのを許容するものではない。《匿名で集合的で非人格的》創造という観念は、実証主義も含めてロマン派のイデオロギーの少数派によって、しばしば文字通り解釈されているロマン的比喩である。それで例えばRenan(彼は文献学者であるが、物理的実証主義とかなり隔たりをもっている)は、《最も素晴らしい仕事は人間性が集団となって行ったことである》また、《天才は群衆のインスピレーションの編纂以上のものではない》と確言している(9)。しかしロマン派のHegel(Renanはこの面については彼に従っていると信じていた)は、ホメロス風の詩に関して、本来的意味で個人だけが創造するのであることを明らかにしている、これはHegel自身が《全民族の精髄》(10)と呼んだものを表している。それで人間の創造としての言語活動は、こういった面でも例外ではない。あらゆる言語的改新は必然的に個人的である(11)。しかし採用され伝播する改新は、確かに個人間の表現的必要性に答えている。言語的創造はしばしば匿名であることは確かであるが、しかし非人格的または集合的であることはない。それで両親が知られていない子供は、ある種の集合的存在としての子供ではない(12)。言語に関してそれは《集合的》創造であると言いうるが、しかし多くの個人がその中で各自の個人的創造を働かせているという意味でそうであるのであり、ある改新は最初から《集合的》または《一般的》なものとして出現しうるという意味でではない。
3.1.一方歴史的視点から、初源の改新においての性質(借用、変更、体系的創造等々)を措定するということは、ある場合には重要であるが(13)、それはそれ自身で変化を説明をしていない。変化の歴史的問題は、ある一定の言語的様式がどのようにして始まったか(どのようにして始まり得たか)を設定することではなくして、どのようにしてそれが伝統として形成されるのか、または形成されえたのか、言い換えれば、どういった文化的機能的方法また条件で、すでに伝統となっている様式の体系に挿入されたか、また挿入され得たかを設定することである。改新は変化を説明しない、がしかし変化の説明は初源の改新の性質や理由について光を投げかけることが出来る。
3.2.1.スペイン語の黄金時代のカスティリア語
の無声音化の場合、われわれはこの変化は、バスク語と隣接している地域で始まったに違いないと措定することができる。それで初源の改新は、他の人と同じように語る(第3章2.3.3参照)、言い換えれば、カスティリア語を話し(14)、音韻的適応の
現象によって(第3章3.2.3参照)、
を無声化させていたバスク人のように話す際の伝達的目的によっていた。しかし
>
という変化は、体系において《抵抗》に出会わなかったカスティリア語において可能であった。実際
/
という対立は小さな機能負担量しか有していなかった(15)。このことは多くの語で
または
を発音するのは《規範》にかかわる事実であったということである。しかし《体系的》(弁別的)視点からは無差別的なものとなったということである。それゆえ伝達的目的は、この場合体系の《弱い場所》と合致し、変化は実際に体系そのものの機能性に影響しなかったので受け入れられたのである。そして加うるにこの変化は、
言語の音素目録における好都合な《経済性》を示していた(16)。逆に、
>x
という変化に対しては、別のタイプの伝達的目的を設定しなければならないであろう、つまり他者が理解できるように話すというような目途を。話し手の固有の発話において舌先音または前舌背音のsを有しており、その聴覚にとってカスティリア語のs,つまり
舌端歯音
(
)
は、
/
/
と同一と聞こえるような人々とのことばの接触があったと考えなければならないであろう。
事実、音素
や
/
/
(綴り字でg, j, x)が前硬口蓋音であった時期に、この2つの音素が無声や有声の
s
(
,
)
としばしば混同されていたことはよく知られている。このことは、quijo, vigitar,
, colesio(それぞれquiso, visitar,
, colegioの代わりに)というような綴り字の多くの間違いや、同じく文学言語において、cosechaとかtijeraというような、はじめは《間違い》であった形式が固定され得たという事実から推定される。これはつまり体系の《弱い場所》であったということである。しかし機能的必要性と実現体の規範の間の不調整としての前者の例とは
まったく逆の意味においてである。
/
/
と/s/の区別は、音韻的には重要であった(参照:justo-susto, ojo-oso, caja-casa, eje-ese, paja-pasa, cojer-coser, jarro-sarro等々)、
そしてそれゆえ、カスティリア語の
(
)
を
と解釈する(聞き取る)すべての人には、
この区別を保持するのは必要なことであり、
またこの区別を強調する必要すらあった。それで
と区別するために
/
/
は、―スエーデン語の
やドイツ語のichの
[
]
に似た(18)― 後硬口蓋摩擦音として発音されるようになり、ついには軟口蓋の(x)と発音されるようになった(19)、
そして
音声学的には k や g の相関項となった(20)。
しかしこれらの変化は、体系的理由だけによって、また文化的理由と独立して生起したのではない。 黄金時代の大事業の時期に、カスティリアの民衆や非カスティリアの民衆、また カスティリア化された民衆の一体となっての参加によるカスティリア人と非カスティリア人の頻繁で親密な接触に よってこの時期に一括して伝播していったのであろう。つまりこれらの変化は、政治的またはその結果としての 文化的言語的統一や中央集権化の反映でもあったのである。
3.2.2.次いで、 ―ここでは不可避的な理論的要請といったもにはかかわらないのであるが(21)― 《実体論的》音韻論(これは体系と実現体の規範を同等に考慮する)だけが、言語の現実とその変形を説明しうるということを
示すためには、カスティリア語の
からxへの変化を示すだけで十分であろう。実際に体系的視点からすれば、
カスティリア語の音素/s/が音声学的に[s]でも
[
]
でもかまわない、しかしこの音素は[s]ではなく
[
]
であるという事実のみが、
/
/
との融合の可能性を説明している、そしてこの
/
/
の実現体をついに[x]に変えてしまうというそれ以後の必然性をも説明する。
4.1.前の諸説(特に2.2)で述べたことは、《変化》は必然的に《改新》以外の様式に
よって説明されなければならないということを意味しない。改新と変化の区別は、
生理的説明の場合には方法論上から不可欠のものである(というのは生理的なものは、
改新の動機であり得るが、しかし変化の動機ではあり得ないから)、
そして一般に(俗ラテン語の硬口蓋音の場合のように)
変化の可能性としてだけ説明されるような時にはそうである。
しかし(カスティリア語の
>
xのような)変化の必然性を設定する機能的説明の場合には、
この区別は暗に行われている。このような場合に措定されるのは、
変化の説明は初源の改新の説明と合致する。言い換えれば、《変化》を構成した継続的採用は、
改新または初源の改新を動機付けたと同じ必然性による、
具体的に言えば採用する話し手は、改新者としての話し手におい
て決定的な理由として働いていると同じ表現的要求に対応するものとして採られた言語的様
式を認識したということである。そしてこの公準は、最初の改新が偶然的なものであったとか、多くの
の話し手において採用が外存的理由、例えば単なる他者の話し方への適応によって決定されていたということ
を認めるとしても、その有効性は保持している。事実、最初のものを認めるということは、ただ真の創造的改新は、偶然的形式に限定された表現的目的に適合させるように、新しい言語的様式に変形させた採用であったと確認することである。そして《言語における》変化は、改新とではなく、採用とともに始まるということはすでに明示している
(第3章3.2.1参照)。2番目のものについては、これは実際になんらかの言語変化について暗に了解され、また機能的必要性の基準に基づく説明を無効にはしないような何物かにかかわっている。機能的説明は、あるまたは多くの話し手が新しい言語的様式を、ある表現的目的にとってふさわしいものと認めることにより、その新しい言語的様式が言語の事実として存在すると見なそうとするだけである。しかしその問題の言語的様式の一般化においては、ことばの一元化の理由、つまり《外存的》文化的理由が干渉していることを排除することは出来ない。最後に、
このタイプの説明では、―他の場合に生起することとちがって(2.2.2参照)― 初源の改新についての仮説は相互排除的である、というのはこれらの仮説は、
改新を変化の機能において説明するからであり、その逆ではないからである。
4.2.1.これらのことはすべて俗ラテン語とロマンス語の迂説的な未来形の例でもって明示しうる。その例は、 加うるに普遍的な説明と歴史的な説明の差異を明らかにするのに役立つであろう。
4.2.2.ロマンス語の未来形、より詳しくいえば迂説的な言語形式の《統合的》未来形との交替については、すでに知られているように、2つの典型的な説明が与えられている(22)。その2つとも、その意味と内容は異なっているけれども、ともに機能的説明にかかわっている(23)。
最初の説明によれば、―これは《形態的》説明といいうるが― 古典ラテン語の未来形は、その異質性および統合的形式の物質的欠点のゆえに回りくどい形式と取って代わったというものである。この欠点は、所謂《俗ラテン語》で起きたある音声変化の後では、《許容できない》ものとなった。それでその変化によりamabitとamavit、dicesとdicis,またdicetとdicitはそれぞれ煩わしい同音異義となってしまった(第4章4.5.5および第4章注30参照)。言い換えれば、なんらかの新しい表現的必要性が干渉しなくとも、迂説的形式は統合的形式が十分に果たすことのできなかった機能を果たすために採用されていたのであろう。つまり決定的な理由は、単なる弁別的必要性であったということである(24)。
第2の説明によれば、―これは文体論的また意味論的とよばれる ―、迂説的形式は、未来形の単なる時間的観念にたいしてある特有の心的態度または他の価値、様態、情緒的なものが優勢になったので使用されるようになったとするものである。その際に決定的なものは、表現的必要性であった、その必要性のゆえに古典ラテン語の統合的未来形は、形式的欠点のみならず意味的内容そのものによって不適当なものとなってしまった。この第2の説明はVosslerに帰されている。しかしながら事実としては、Vossler以前でも以後でも説明に多少の違いがあるが、他の多くの学者により、提案されまた支持されてきた。既にMeyer-Lubkeも述べている、『ロマンス語はラテン語の未来形を完全に忘れてしまった、これは形式による理由ではなくして、通常の考え方が未来の行為、その実現に言及しているからであり、またより正確に云えば、その未来の行為というものを、欲求している何事か、または行わなければならないこととして認識しているからであり、それゆえ、volo, debeo, habeo cantareと云うように述べるのである』(25)。《知的なもの》とか《情緒的なもの》の区別に基づいた同じような説明が、Ch.Bally(26)によって支持され、またL.Spitzer(27)により基本的に採用されている。またVossler以前でも、E.Lerchは、ロマンス語の未来形を《道徳的義務感の表明》であると解釈していた(28)。そしてVossler以後では、Meillet(29)とかまた、H.F.Muller(29-bis)によってラテン語の未来形の明らかな《文体的》な説明がなされている。しかしながら、確かにあらゆる意味的・文体的説明の内でVossler(30)のそれが最も決定的で特色のあるものである。一面よりするとこれは、ラテン語の未来形は《微細な表現性》を示すだけだということに同意せず、明確に所謂俗ラテン語では『未来形の時間的概念は弱く消えてしまった』と確信している唯一の説明である。事実『未来形は下層民の間では一般的ではなかった』と言っている。『民衆のことばでは、未来という概念は無視されるかまたは粗末に扱われ不明確であった、それで普通の人間は未来の事柄に対して、観照、認識、知恵というよりもむしろ意欲、欲求、期待、恐怖の態度を取った。未来という時間的観念が恐怖、期待、欲求、不安定という情緒的領域に紛れ込まないようにするためには、絶えず自覚的意識や哲学的性向や思考の習慣などを必要とする』。このような条件は、ローマの大衆には欠けていたであろう。このようなわけで、『俗ラテン語の未来形の意味が強力に種々の様式的に意味されるものの実際的方向へとそれて行くに際して、旧い統合的形式は余剰的なものとなった。それでこの未来を意味させるために別のより適切な表現様式が存在していた』(31)。これはもっと後になってから、未来形の新しい形式として《文法化された》のであろう。それで大部分のロマンス語において不定詞+実詞+habere、サルド語において、不定詞+debere、ルーマニア語においては、不定詞+velle(俗ラテン語volvere)という構文ができた。
4.2.3.一見すると、この2つの形態論的、意味・文体論的説明は、同じようにもっともらしい、そしてさらに補完的な説明として受け入れられうるものである。しかしこの2つはまったく《同じ事》を説明しているのではない。最初の説明は、未来形の形式そのものの改新を動機付けることにかかわっている、一方、第2の説明は俗ラテン語の諸形式に対応する新しい意味内容を正当化しようとしている。しかしとは言っても、この2つをもっと詳しく調べてみると両者ともに不十分で脆弱な説明となる。
4.2.4.まず最初にわれわれは、意味・文体論的説明としては最も極端なVosslerの公式について考えてみよう。A.Paglianoはこの説明に対して根本的な異議を唱えている。つまり『形態論的なもののうちで再構成されたカテゴリーが、まさに他のものではなく未来のカテゴリーであるとすれば』(32)、未来の時制上のカテゴリーの《消滅》ということを仮定することはできない、とする。事実もしある意味で、そのようなカテゴリーが存続し、そしてその表現形式や意味的方向づけだけが変容せられたとするなら、未来のカテゴリーの弱体化について言及することは出来ない。一方ラテン語の未来形の物質的再構成という事実は、カテゴリー的弱体化を示すのではなく、まったく正反対のことを示している、つまり話し手がこのカテゴリーを保持しようとする際にみせる興味を指し示している。言語において、現実に《弱い》ものはどんな方法によっても再形成されえず、捨てられるだけである。古典ラテン語の統合的形式が機能的に弱かったのであり、実際にその形式が消失したのである。Vosslerが言うように、確かにその伝播の始めには、迂説的形式は本来の未来形ではなく、ただずっと後になってそのようなものとして《文法化》されるにいたったのである。しかしそれが未来形の形式ではなかったとすると、そうなるにいたるということをどのように説明するのであろうか、また形式と時間的観念が対応していないものの間にこのような関係を設定しえたのであろうか。言い換えれば、《消滅した》と仮定されたカテゴリーの《文法化》ということをどのように説明するのかということである(33)。事実は、既に古典ラテン語と関連づけて、この俗ラテン語の形式について言及する際に、暗黙の内にamaboとamare habeoとの間の機能的継続性を認めているということである(34)。
この第1の反論に対して、もっと色々な反論を付け加えることができる。《常に動揺している意識》とか、ある特有の《哲学的性向》というものを数世紀に亘って、この統合的形式、―これに付属している未来の時間的観念― を保持していたすべてのローマ人に帰する理由があるのかどうかを質問することもできる。それでこの形式がまったく《一般的》であった時期があったということは疑いがない、そして迂説的形式は、定義上、上記の観念と保持する能力に欠けた小集団に発生した。所謂古典語の未来形は、確かに学者的創造ではなかった。第2に、形式的な視点よりするとVosslerの説明は循環論をなしている。彼の言う新しい思考形式(neue Denkform)というものは、説明するというよりはむしろラテン語の改新から推定されたものである。このことは、証明ではなく直観にかかわっているとすれば、基本的な視点からは重大なことではない、そして形式的には、あらゆる言語外的な可能性の中に、変化の限定素と考えられるこの精神的態度とは別の痕跡を見出そうとするのが好ましいのであろう。別の見方からすると、そのこと、つまりVosslerの意味・文体論的説明は、新しい形式が意味するものと同一視されることになる、そしてロマンス語の未来形の説明は、その初源的意味の単なる確認ということになってしまう。こういう意味で、普遍的な態度にかかわっているかどうかを示し得ず、また一方では俗ラテン語の特有の新しい思考形式(neue Denkform)にかかわっているとする確言とは矛盾しており、他方ラテン語の未来形の改新が歴史的事実である限り、普遍的ではなく歴史的に説明されなければならない。この最後の反論はまさに、一般的ではあるが歴史的ではないロマンス語の未来形のあらゆる意味・文体論的説明にとって有効なものである。
4.2.5.これに反して、古典ラテン語の未来形の弁別性の欠陥は、歴史的に文献であとづけられた事実である。それでPagliaroは、それをまったく十分なものとは考えないが、形態論的説明へと向かっている(35)。実際、かれは次のように見ている。「迂説的形式にとって必然性とか適切さという観念が固有であるので」、《思考形態の視点から問題となるのは、俗ラテン語の未来形の観念がなぜ必然性の相、特に道徳的な必然性の相を獲得したのかということである》(36)。
さて解明すべきことが、このことだとすると形態論的説明は、まったく不十分なものとなってしまう、つまりこの説明は統合的未来形の交替の必然性を説明することはできても、別のものではなくある形式との交替の必然性を説明していないからである(37)。また言い換えれば、もし俗ラテン語の迂説的形式が古典ラテン語の統合的未来形と交替したことが確かであり、またある意味でカテゴリーの連続性があるとすれば、カテゴリーそのものが所謂俗ラテン語において新しい方向付けを示したのであり、その事実は形態論的に説明され得ないことも確かである。つまり統合的未来と迂説的未来との間の連続性が存在し、同時に機能的偏差が存在する。しかしこの連続性にだけ注意を向けるあらゆる説明は、この偏差を説明しない(注35参照)。しかしVosslerはまさに、ラテン語の未来形の機能的偏差を説明しようとするのである。事実、Vosslerは、統合的未来形の物質的欠陥を知らなかったわけではなく、逆に彼はその内の幾つか、(2つの範例の異質性、amabitとamavit: amabuntとamabant: またlegesとlegetの間の音声的類似性、第1変化の接続法現在、等々)を明確に指摘している。彼はこれらを決定素とは考えず、これらの物質的欠陥は、―もし意味論的価値の視点から、同じ未来を保持しようとしているのであれば―、別のやり方で、例えば単純な類推的形成によって乗り越えようとしたであろうと考えた(38)。
統合的形式は、habeo, voloをともなった迂説的形式と交替した、また話し手の性向にまかされていた、即ち古典ラテン語にすでに存在している諸形式の様式からの《選択》という現象にかかわる単純な理由によって交替したということは明らかに支持できる(39)。この論証は正確である、しかしこれは同語反復であることに加え(40)、変化またある意味の《経過》について言及しているがその《理由》については言及していない(41)。変化の理由つまり《なぜ》は、すでに示した弁別的必要性でなければならないだろう。しかしこの理由に対して、―あらゆる留保にもかかわらず、特にラテン語にとって許容されるであろう(注41参照)―、基本的事実が対立する。つまり叙法的、相的な方向付けのある迂説的未来は俗ラテン語において特有なものではなかったということである。他の多くの言語において、未来のカテゴリーは比較的新しく形成された迂説的形式や、指示法(yusivo)または起動相(《まさに起らんとすることを表す》)等の明らかに叙法的なものによって表現された(42)。そしてさらに古典ラテン語の形式それ自身は、叙法的であったし、純粋に《時制的》
になる前には指示法的であった(43)。そしてまたロマンス語を含めて多くの言語では、迂説的な形式は、―すでに《時制化されている》別の様式に膠着するか、またはしないで―、しばしば現在形の諸形式や指示法または起動相等の新しい様式の迂説的形式と《交替した》、
例えばスペイン語のhe de hacer, voy a ir, フランス語
j'ai
faire, je vais faire,
スウェーデン語
jag kommer att
.
等々(44)。さて同じ意味で実現されるこれらすべての交替は、形式的欠陥による、言い換えれば単なる弁別的必要性によるとは理性的に支持しえない、というのは多くの場合、この欠陥というものは明らかに存在し難いからである。そしてもしこのことが承認されるとすれば、ラテン語は唯一の例外を構成していると推定するために、また俗ラテン語の未来形の叙法的、相的な意味を単に1つの原因に帰するための理由は存在しないということになる。それで《意味・文体論的》説明に帰す必要がある。しかしこれはその説明を受け入れるためではなくして、それを修正し、訂正するためである。
4.2.6.なにはさておいても、説明すべき事実は次の3つである事を認識しておく必要がある:
a)未来の諸形式の一般的不安定性(未来のカテゴリーそのもののではない)
b)その起源においては、叙法的、相的な価値を有し、次に《時制化される》に 到った形式による未来の周期的な改新。
c)ある特定の歴史的時期でのラテン語の未来の改新
最初の2つは、特にある1 つの言語とか、ある一定の歴史的時期に固有なものではない、 それゆえこれは《普遍的》な性格の説明を要求する。A.Pagliaroは次のように見ている、「未来のカテゴリーは弱かった、その理由は特にそのカテゴリーの中に希求法や可能法の叙法的カテゴリーが関与していたからである」(45)。しかしこれは本来的な《弱さ》ではなくして、単に未来の特性であった。この《弱さ》は、叙法的諸形式による未来の改新を説明しうるであろう、しかし叙法的諸形式の《再時制化》を説明しない。未来の諸形式の継続的交替は、所謂《表現的衰退》によっては説明され得ない、なぜなら、この《衰退》ということがそもそも説明されなければならないものだからである。つまり未来形が《文法化される》がゆえに改新されるという時には、何も説明していない。多くの場合(しかし注33参照)、これは単なる論証ということであり、未来が再形成された意味について説明できない。同様に、たまに未来の改新は《教養ある》発話と、《民衆の》発話との対立によって説明されるといわれる、しかし(ある言語共同体のうちの、より教養のないグループの発話と解された)民衆の発話は、《非民衆的》発話よりも叙法的、相的であると推定するための理由はない。もし逆に、《民衆の発話》というものによって、表現的自発性により特徴付けられるある発話の様式(またはある言語的契機)を意味するとすれば、その時には、この同じ説明は未来の改新が(それが《改新》である限り)発話の様式において所与のものであり、《改新者》の卓越性によって言語的契機が与えられるものであることを単に論証することと同じことになる。またどこでこの現象が始まったのか、とか、この伝播の方向はどちらに向かっているのか、ということを設定する側面ではなく、その普遍的理由を探求しようとする側面にこういう概念を求める必要はない、というのはそれによって得られるのは、ただ問題を移し替えるだけだからである。事実普遍的な視点からは、それとなく指摘されている対立は、ことなった発話の様式間にはなく、この対立は未来というカテゴリーそのものに属している。普遍的に論証されているものは、未来の二重性であり、これは2つの極の間を動揺している、つまり1つは《純粋に時制的》として指摘されているものと、他の1つは《純粋に叙法的》(これは相的な形式に対応している)として指摘されているものである。時制的形式は、叙法的形式と交替し、そして次に後者は時制化されるのである。
Leo Spitzerは、このことをよく観察している。彼はわれわれの解釈によれば、まったく満足できるような解決策には達しなかったが、未来形の普遍的問題をより深く研究した学者である。Spitzerは、《叙法的》諸形式の出現、および未来形の改新であるその《時制化》を説明する必要があると厳しく言っている。明らかにすべき事実は、次の通りである、『一般に人間の言語は、原則として未来形の周期的な相互の破壊と構築を行っていたであろうことは明らかである』(46)。Spitzerによれば、これは論理的なものと情緒的なものの間の《永遠の2つの裂け目》によっているのであろうということである(47)。一方では話し手は、情緒性がそれを要求するので、未来に対して主観的態度を採用し、《叙法的》形式によってこのカテゴリーを表現する、また他方この形式は論理がそれを要求するので、《文法化され》、そして《時制的》なものとなる(48)。しかし言語活動における《情緒的》形式と、《論理的》形式の区別は受け入れることができない、というのは《言語》の側面、またはそのようなものとしての言語的様式の側面に設定しようとする《知的なもの》と《情緒的なもの》(または《表現的なもの》)の対立はどれも受け入れがたいからである(49)。《叙法的》未来は、《純粋に時制的》な未来よりも情緒的または表現的であることはないし、前者は後者よりも《論理的》であるということもない、そうではなく、この両者は情緒的な視点および所謂論理的な視点から見て単に色々な価値を持っているということである。言語活動における《情緒性》と《論理性》の区別は、ただ主観的意味(話す主体の態度の表明)と客観的意味(意味されている《物の状態》)の区別として解される。この意味で、これは具体的発話の一般意味論的なカテゴリーにかかわっているのであり、あれやこれやの言語的形式を排除した属性にかかわっているのではない、それゆえ話し手の態度と、客観的情報を同時に暗に含んでいない本来的な言語形式というものは存在しないのでる(50)。未来の二重性は、確かに異なった2つの表現的目的(客観的また主観的意味で)を暗に含んでいる、しかしこれは表現性または《論理性》の多い少ないという段階性とはなんら関係がない(注49参照)。別の視点よりすれば、《より論理的》なのはまさに叙法的未来であると言い得るだろう、つまり実際、未来に対する(言い換えれば、まだ現在のものではないものに対する)《認識》態度は、―Spitzerの信ずるように《論理的》であるとか、Vosslerが考えているような《哲学的性向》と明示しているどころか― 理性的には不合理である、というのはそのようなものとしての未来は、認識のための資料となることは出来ないからである。
4.2.7.未来というものの二重性にもとづいた説明は、別の方法でやらなくてはならない。(イタリアの偉大な思想家Carabellese(51)やHeidegger(52)によって原則的に明らかにされた)時間的な諸瞬間の実存的《共現存性》、言い換えれば内的に《生きられた》時間と、3つの次元での《共存》と、非同時的瞬間に《広がる》か《分散している》外的継続的なものとしてとらえられた時間、というものを区別してかからなければならない。Carabelleseは、具体的なものの中では、未来は現在の《後で》見出されることはなく、また過去は現在の《前に》見出されることもないと強調している、つまりこれは意識の異なった活動に対応する《共存的》瞬間にかかわっているからである。過去は《知る》ことに対応し、現在は《感じる》ということに、また未来は《欲する》ということに対応している(velleという意味で、そしてまたこれはposseやdebereの契機であるということを付け加えることができる)(53)。それで具体的に生きられた未来は、必然的に《叙法的》時間である、しかしその中に叙法的意味が関与するということはない。第2に、時間の3つの瞬間のうち、未来は存在の固有の時間であることを考慮しなければならない(54)。人間存在は、未来のまたはまだ現在ではないものの永続的繰り上げである、つまり意図、強制または可能性として、未来を現在に引き寄せるものである。そしてこの繰り上げは、言語的に叙法的、指示法的また起動相的形式によって表現されるようなものである。一方、時間の瞬間瞬間の《共現存性》は、単なる《もの》ではなく、《形成される》なにかである、というのは人間それ自身の在りようは、どのようにして行うか、つまり活動として表されるからである。さて未来が恒常的に《繰り上げられ》、また時間として別の2瞬間と《共存して》形成されるためには、未来が遠のき、存在がそれに向かわんとする《外的》瞬間として投影される必要がある(55)。この遠離化、つまり未来の《外的存在性》は、不適当にではあるが《純粋に時制的》なものと呼ばれる形式によって表されるものである。それで多くの言語で未来は、本質的に《弱く》(不安定)であり、現在によって表現され、また叙法的価値をもつ形式によって周期的に再形成されうるのは不思議ではない、それゆえ存在についての意識は、多かれ少なかれあらゆる人間に固有のものである。そして叙法的形式が《時制化され》、それゆえ時間を瞬間ごとに分散させる(区切る)のは、人間が共存的な存在であることの論理的帰結であるので不思議なことではない。
それで、《意味・文体論的》説明は、普遍的なものとして提示されている限り、間違いではなくただ部分的または不十分にしか基礎付けられていないだけである。これは、確かな直観にもとづいている、しかし諸事物の表面に留まっているか、または本質的なもの、つまり 時間そのものについての概念に照準を合わせる代わりに、二次的、派生的側面へとそれてしまっている。
4.2.8.しかし普遍的説明は、それ自身では歴史的な説明ではない。ラテン語の未来は何故 ある一定の時期に叙法的形式と交替した のかを設明するためには、《かって起きた》なにものかを論証したり、 現象の普遍的理由 を示したりするだけでは十分説明したことにはならない。また普遍的(永続的)理由は、 なぜ俗ラテン語のある時期に作用するようになったかを説明しなければならない。まさに古典ラテン語の未来形の物質的欠陥は、同じ時期にその再精錬を要求した、そして《分析的》表現への一般的傾向は、迂説的形式としての交替に有利に働いた。しかしこういう事情だけでは、俗ラテン語の未来の価値や、単なる一致ではあり得ない他の《叙法的》未来との一致を説明するには不十分である。歴史的に決定的であった環境としては、疑いもなくキリスト教があった。これは存在の意味を目覚めさせ、強調し、存在それ自身に真性の倫理的方向付けを課した精神的運動であった。俗ラテン語の未来が、古典ラテン語の未来と《同じもの》を意味していないとすれば、実際それは新しい精神的活動を反映している。これは《外的》または無差別的未来ではなく、意図または道徳的強制としての意識的責任をともなった《内的》な未来である(56)。このことは、キリスト教と《俗》ラテン語の同時代性にだけもとづいている単なる推定ではない、というのは新しい未来形は、特にキリスト教徒の著作家において頻繁であるという事実が、このことを示している(57)。そしてさらに、偉大な哲学者であり、それゆえ他の話し手が、散発的または直観的に採用したであろうこの新しい思考形式を論理的に理解し、解明したキリスト教の思想家において、明確な用語で、時間的な諸瞬間の《共存》の観念が述べられている。つまり聖アウグスティヌスは、古典文献がわれわれに遺したものとは、まったく違ったやり方で時間についての有名な分析を行っている、以下それを引用してみよう、『それよりはむしろ、3つの時間、すなわち過去のものの現在、現在のものの現在、未来のものの現在が存在するというほうがおそらく正しいであろう。じっさい、これらのものは心のうちにいわば3つのものとして存在し、心以外にわたしたちはそれらのものを認めないのである。すなわち過去のものの現在は記憶であり、現在のものの現在は直観であり、未来のものの現在は期待である』(58)。この重要な文献は、そこで言及されているような態度は存在しており、まさにキリスト教的態度であるという言語外的な痕跡をわれわれに与えている。
ラテン語の未来の改新は、キリスト教によって引き起こされた新しい表現的必要性によって 動機付けられた多くの言語変化の内に含めなくてはならない。それで変化のイニシアティブを歴史的に 限定された精神的運動に帰す際には、それを《民衆》の発話の様式に帰するあらゆる説明の 曖昧さを排除しなければならない。一般に民衆という概念(これが話し共同体と同価ではない時には)は、 言語学では曖昧な概念である、 そしてその限界はだれも知らない。しかしいわゆる所謂《俗ラテン語》の 場合には、 先決問題要求(petitio principii) 【訳者注:アリストテレスの誤謬論の1つで、証明を要する一般的原理を証明なしに前提として立ててしまうこと】 が問題となる、しかしこの場合には、 明示されるべきものはすでにそこに明示されている、と言える。どのような言語的様式も、《民衆的》ではない、 なぜならこれらが俗ラテン語(絶え間なくローマ民衆によって使用されたラテン語)を統合しているからである(59)、事実は逆に、 《俗ラテン語》はそれを統合している言語的様式が、《民衆のもの》であるという限りにおいて 《民衆的》なのである。このことは、前もって所与のものとなっていることはなく、 各様式について論証されなければならない。そして迂説的未来に関しては、そのような論証が、 肯定的結果を出すであろう、ということについては疑いようがないと思われる(60)。
4.2.9.表現的必要性による説明は、まず最初に《改新》または最初の改新、言い換えれば未来の新しい概念を表現するために迂説的形式を利用した最初の話し手達の創造的行為に言及することになる、しかしまた、これはローマの言語共同体における、この形式の伝播と固定化の過程としての《変化》が問題となる。それで改新は、多くの話し手の表現的必要性に対応するゆえに、伝播していったということを暗に示すことになる。これに関してW.von Wartburgは、Vosslerが長期間に亘る過程であるものを、一瞬間に還元しようとしているという事実を彼の説明の根本的な間違いとして指摘している(61)。しかし実際には、Vosslerの説明にはこのようなことを暗示しているところはない。Wartburgの異論は、《意味論的》な説明に対してだけ有効なのではなく、《形態論的》説明を含めて、言語変化を瞬間的事実に還元しようとするどんな説明にも、(もしその説明というものが、《改新》と《変化》との区別を無視しているとすれば)有効である。新しい未来の《社会的》固定化は、統合的未来の消失に平行する《段階的》な長い過程であった。そして瞬間的な行為ではなかった、まさにこれは疑問の余地のないことである。しかし《段階性》は、改新の個人間的採用(《伝播》)にかかわる《外延的》意味でのみ理解すべきものである(第3章4.4.5参照)。逆に迂説的形式で発展的《文法化》について言及することはできない、つまり《内延的》な意味で、―旧い形式と新しい形式との間の《選択》に関することは除外するとして― この《過程》はあらゆる話し手にとっては、未来のカテゴリーのために、ある形式を採用した時にすでに終了したものとして、または統合的形式の異形として解さなければならない。
ここで質問すべきは、はたしてすべての話し手において、同じ表現的必要性が作用したのかどうか、ということである。しかしこれにはどんな説明も、企てられたことのないものである。これに関して、歴史言語学が自由に使いうる資料は、決して十分ではない。疑いもなく、ひとたび変化が決定されると、つまり統合的形式と迂説的形式が《相互交換可能なもの》として、お互いに《異形》と感じられるようになると、話し手の多くは自己の弁別的なものに対する適応能力によって、迂説的形式を採用したのであろう。つまり、この迂説的形式が、体系の危険な場所の止揚ということをもたらしたことには、疑いの余地はない。そして多くの話し手は、自己の表現的特有性を尊重することなく、単に《他者のように話すために》、言い換えれば文化的に外部的な理由によって、この迂説的形式を採用したのであろう。即ち、このことは言語変化の機能的説明は、文化的説明を排除するのではなく、逆に文化的説明は言語変化の機能的説明を暗に含んでいる、ということである。
第5章の注
(1)この例は創作したものではない。それで例えば、P.E.Guarnerioは(《Revue de dialectologie romane》,III,p.213)、ラテン語の硬口蓋音の口蓋化現象を説明している。しかし残念ながら、こういうタイプの《説明》は言語学からまだ放逐されていない。このことについては、以下を思い返すのがよろしかろう:プラトンは人間的(歴史的)事実を一般的生理的条件によって説明することは、不合理なことを指摘している([Phaedo],98 c-e,99 a-b)、彼はそれなくして原因が発現することのない必然的条件と、いわゆる《原因》を区別している(ソクラテスは脚を曲げることが出来るという理由で、牢獄で座っているわけではない)。
(2)art.cit. p.30
(2-bis)音素変化については、R.Jakobson, [Actes du quatrieme Congres International de Linguists], Copenhague, 1938,p.126を参照、「弁別的価値の発生と消失は、突然である、なぜなら価値があるかないか、であって第3の存在はないからである」。および、J.Laziczius, ibid.,p.127、「音変化は順々に、また漸次的に生ずる、このことは承認できる。しかし音素変化はいつも単一の原因によって突然的におこる、というのは過渡的音素というものは存在しないからである」。 同じ事が、そのようなものとして採用された実現体の異形にも当てはまる。つまり、採用されたものは、 常に実現体の様式である、この点に関しては、弁別的様式と非弁別的様式とには差異はない。 それで《順々に》ということは、ただ単に、論証された、または論証しうる 異形の外的序列ずけということに対応しているだけであり、その発生的順序については何も語るものはない。
(3)それで例えば、音的変化について、L.Bloomfield, [Language], New York,1933, p.385。またA.Greira, [Altas Linguistic de Catalunya, Introduccio],p.2を参照。「現代方言に特徴的な語や形式や音は、2,3年で消えてしまう、しかしその理由はわれれわれには解らない」。
(4)このような例は相対的には少ないが、しかしまったく意味のないものとなることはない。B.Migliorini,[The Contribution of The Individual to Language],Oxford,1952を参照。
(5)しかしながら、言語変化の始めの形式を構成するものとまったく同じような採用は、言語を学んでいるあらゆる子供の個人史において(また一般的にことばの学習に際して)、なんら困難もなく論証される。 同様に、各家庭の小《言語》においても、家族の成員がその《起源》を知らない特有の形式を正確に使用していることがある。
(6)「Cours」,p.143:p.109。しかしこのことは、「時間はあらゆるものを変える」、という《普遍的法則》にかかわるものではない。このような法則は存在しない。そのようなもの としての時間は、現実的なものの直観の形式である、しかしそのことによって何も変えることはない。
(7)B.Gerola, "Il nominativo plurale in-
nel latine e il plurale romanzo",[Symbolae Philologicae Gotoburgenses](=Acta Universitatis Gotoburgensis, LVI,3)Goteborg 1950,pp.327-354。
(8)これについては、V.Pisani, "Palatalizzazioni osche e latine", 《Archivo glottologico italiano》,XXXIX,pp.112-119を参照。しかしAiutor <Adiutor(p.115)という例 ―これはA.Burger, art.cit.p.23で示されている― は、本来的なものではないようである。ここでは、-dj-ではなく、d-j(dとiの間に音節の切れ目がある)が問題となる、それでAiutorは、adの語末音とされたdが脱落したものとして説明できる。ラテン語の軟口蓋音の口蓋化についての諸説については、Da Silva Neto, [Fontes do latim vulgar] 3ed. Rio de Janeiro 1956,pp.65-67を参照、また参考書も多く挙げられている。
(9)[L'avenir de la science, Pensees de 1848] 24ed. Paris 1929,pp.194-195.
(10)[Vorlesungen uber die Aesthetik], フランス語訳[Esthetique]III,2,Paris 1944,pp.100-101
(11)それで、注4で引用したB.Meglioriniの本のタイトル(意味ではなく)には少なからず驚かされる、というのは、個人以外に言語に貢献するものはないからである。
(12)L.Stefanin, [Trattato di estetica ], I,p.122を参照。
(13)それで例えば、はば広い干渉による言語諸体系の共存を明らかにする一連の借用の場合において見られる。この場合、改新の本質を明示するということは、対応する変化の文化的説明を含むことになる。逆に、改新を《変更》、《類推》《字位転換》として説明するときには、このようなことにはならない、なぜならこの場合、説明は抽象的で発生的であり、歴史的なものではないからである。これは単なる分類にしかすぎない。
(14)この問題について、《傍層》の影響を云々しうる。しかし《旧いカンタブリアの基層》の作用について言及するのは、適当ではないようである。むしろ8世紀以後、特にカスティリアとアラゴンの統一、およびナバーラの合併以後のカスティリア化したバスク人について考察すべきであろう。これ以外の方法では、変化がなぜ以前に起きなかったかを説明できない。
(15)fijo/fixoという例は、その数が少なく、またその具体的重要性についても疑わしい (第3章4.2.2参照)。事実、この時代にはfijoはすでにhijoであった、一方fixoは 現在まで f を保存している(fijo)。
(16)/ts/と/dz/(綴字
とz)との合流や、他の音素の合流についてはA.Alonso, [De la pronunciacion medieval a la moderna en espanol] I, Madrid 1955pp.388,390を参照。
彼はこの2つの音素を《区別する意志》が、
話し手から欠けるようになったとしている。
そしてこれが実際に話し手の態度であったということでなければならない。つまり対立の機能的有効性
が小さかった、という客観的事実によって正当化された態度であった。
カスティリア語の有声性の相関関係の消失についての、《機能的》説明で興味深いものとしては、G.F.Continiの論文(《Nueva Revista de Filologia Hispanica》,V,pp.173-182)を参照。また F.Jungemannの厳しいが、しかしまったく正当な批判を参照、[La teoria del sustrato y los dialectos hispano-romances y gascones], Madrid, 1956,pp.332-333.
(17)A. Alonso, "Trueques de sibilantes en antiguo espanol", 《Nueva Revista de Filologia Hispanica》 I, 1947,pp.1-12およびR.Lapesa, [Historia de la lengua espanola]3ed.Madrid, 1955, p.238を参照
(18)A. Alonso の[De la pronunciacion] p.404に引用されている英国の文法家、L.Owen(1605)の、カスティリア語のxは英語のshよりも喉の奥で発音されている、という論証をこのように解釈できる、
もしxがまだ
(
)
であったとするならば、Owenはその差異に気付きえなかったであろう、またもし[x]となっていたならば、英語のshと関係づけることはなかったであろう。またI.D.Rhoesus, Perutilis exteris nationibus de Italica pronunciatone et orthographia libellus, Padua 1569, f.32 v., 彼は、
スペイン語およびポルトガル語の
[
]
に言及しているようである、そして、スペイン語のxは、咽喉の奥で(in faucium lateribus)イタリア語のsciとは異なったものとして発音されていると考えている。イタリア語のsciを実現するためには、イスパニア人は、彼等のsとxを結びつけなければならないだろう、としている。《Hic diligenter cauebis ne praedictum sibilum [ital. sci] Hispanorum more literam x pronunciantium in faucium latera fundas; sed rictu leuiter diducto illum libere per primorum dentium discrimina expellas 》・・・《Hispani omnes tam qui Lusitaniam quam qui reliquas Hispaniae partes incolunt・・・praedictum Hetruscorum sonum possiderent, si huiuscemodi uterentur scriptura sx, exprimerentque sonum, quem in latera faucium inorquent, per anteriores atque primores dentes》.
(19)音的変化において、
多くの中間的状態を設定する必要はない(また一般的に適当なことではない、1.3.3参照)。
この場合には、
-
-x
というように一つになった。実際
[
]
は音素的には/x/または
/
/
に対応しうる、それで例えばドイツ語ichのchは、
ある外国人には
と、また別の人にはxとして解釈され(聞こえ)る。
(20)このような事実は、
,
というような語彙的ペアーの存在によって指示されえた。事実、
は(gより派生したという限りにおいて)昔の相関関係にまで遡るであろう。
(21)しかし例えば、[Forma y sustancia]の特に、p.41以下、および本書第7章2.3を参照。
(22)このテーマに関しての基本的参考書としては、下記のものを見ること、V.Bertoldi [La parola quale mezzo d'espressione ],pp.259-261,注、およびDa Silva Neto, [Historia da lingua portuguesa](6), Rio de Janeiro, 1954,p.255.ラテン語の語根、およびロマンス語の新しい言い回しの発展的確認については、G.Rohles, [Das Romanische habeo-Futurum und konditionalis],ARom, VI, 1922, pp.105-154を参照。以下に続く本文は、《Revista Brasileira de Filologia》III,1に発表された"Sobre el futuro romance"という論文の資料であったものである。
(23)A. Dauzatの([Phonetique et grammaire historique de la langue francaise], Paris,1950,p.144)、ラテン語未来の変革において、ドイツ語の影響が干渉しているかも知れないという、厳格に資料に基づいていない観念を、《説明》として考察に入れる訳には行かない。
(24)または、目的性という視点よりすれば、これは伝達的目的性であろう。実際、物質的区別は、特に聞き手にとって不可欠のものである。一方話し手は1つの形式を発音するときには、 これが未来のことか、過去のことか考えるし、それを承知している。
(25)[Einfuhrung in das Studium der romanischen Sprachwissenschaft]原文の第2版のスペイン語訳、[Introduccion al estudio de la linguistica romance], Madrid,1914, p.217
(26)[La langage et la vie]のスペイン語訳、[El lenguaje y la vida]2ed.Buenos Aires, 1947,p.66, 「その創造の瞬間において、habeoというタイプは決して未来の観念をよりはっきりさせようとはしなかった、それによって表そうとしていたのは、純粋に知的な形式を壊し、未来の観念に暗に含まれる主観的要素(義務、強制、必要性)を表現しようとしたのである」、およびp.67、「未来の迂説的形式は、われわれが特にわれわれの要求、われわれの恐れ、われわれの決断、われわれの義務に対して保存してある時間の一部として想像する未来についての主観的概念化より生まれる」。フランス語の初版は1913年に出版されている。
(27)[Uber das Futurum cantare habeo],(1916),これは[Aufsatze zur romanischen Syntax und Stilistik], Halle, 1918,pp.173-180に再録(特にpp.176-179を参照)
(28)[Die Verwendung des romanischen Futurums als Ausdruck eines sittlichen Sollens], Leipzig,1919
(29)[Esquisse d'une histoire de la langue latine](1928),5ed.Paris, pp.262-263、「既に終了した過程というものは、一つの事実であり、それについて客観的に語ることができる。これから起こる過程は、待ち受けているもの、期待されているもの、または警戒されているものである。なんらかの情緒的ニュアンスを関与させないで、これから起こることについて語ることはできない。しばしば曖昧であって、大衆のラテン語にとってあまり表現力に富んでいないので、ラテン語の未来は慣用より作られる。これは古典ラテン語より存在していたものとすべて交替せられた、しかし複合語が示す意味的ニュアンスをともなっていた、
つまりfacere habeo, facere
等」。
(29-bis)[L'Epoque inerovingienne],New York 1945,pp.188-191
(30)これは"Neue Denkformen im Vulgarlatein"において述べられている、この論文は最初[Hauptfragen der Romanistik, Festschrift fur Philip August Becker],Heidergerg, 1922,pp.170-191に収められ出版された、その後Vosslerの著書[Geist und Kultur in der Sprach], Heidergerg, 1925,pp.56-83に再録。ロマンス語の未来形の説明は、[Hauptfragen],pp.178-189,また[Geist und Kultur],pp.67-68に見られる。これに加えてこれと同じ説明が、H.Schmeck編集のK.Vosslerの著作集[Einfuhrung ins Vulgarlatein], Munchen, 1953,pp.115-117に再録されている。
(31)この翻訳は全くの直訳ではない。原文は以下の通り:
[Aber der ganze Zeitbegriff des Futurums war schwach und ging in die Bruche. Er ist dem niederen Volk wohl kaum in einer Sprache sonderlich gelaufig. Wie der Prophet im eigenen Lande, so wird in der Volkssprache der Zukunftebegriff zumeist vernachlassigt oder irgendwie misshandelt und getrubt. Denn immer steht der gemeine Mann den kommenden Dingen eher wollend, wunschend, hoffend und furchtend als beschaulich, erkennend oder gar wissend gegenber... Es dedarf einer fortwahrenden Selbstbesinnung und hemmung, kurz einer philosophischen Gemutsart und Denkgewohnheit, wenn der temporale Zukunftblick nicht abirren soll in die modelen Bereiche der Furcht und Hoffnung, des Wunsches und der Unsicherheit...Nachdem nun die vulgalateinische Futurbedeutung so stark in die praktische und getuhlsmassige Richtung des Sollens, Wollens, Wunschens, Heischens usw. abgebogen war, wurden die alten Flexionsformen entbehrilich. Denn um die neue Meinung auszudrucken, gab es mehrere andere, frischere und starkere Mittel],([Haptfragen],p.179)。
(32)[Logica e grammatica], p.20、注1.この彼の視点は明らかに急進的である、というのは、彼は未来の時間的カテゴリーに関する新しい心的態度について論ずる可能性を排除している。しかしこの表現は正確に彼の思想に対応していない、とすべきではない、 というのはこの注の中で、俗ラテン語の迂説的未来形に固有の必然性の観念に関心を向けていることによって、彼は新しい心的態度についての問題の正当性について容認している。
(33)《文法化》というのは、適切な表現ではない(これはVosslerやBallyや他の学者がともに共有している曖昧さに対応している)。なぜならあらゆる言語的様式は、文法的視点よりそれを考察する時には、《文法的》であるからである。効果的対立は、文法的焦点と文体的焦点の間に設定しうるのであり、それ自身で《文法的》な様式と、またそれ自身で《文体的》な様式の間に設定されるものではない。
(34)A.Pagliaro,[Logica e grammatica],pp.19-20.彼は統辞的未来と迂説的未来との間には、(カテゴリーという視点より見て)《連続性の溶解》は存在しない、としている。またJ.Mattosoは[Uma forma verbal],p.33で、ラテン語の未来の変革を《カテゴリーの序列の進展》であるよりもむしろ《形態的進展》の関する事実と考えている。そして続けて、ロマンス語の未来について、「その使用法の諸条件は、まったく古典ラテン語と同様であった、それでそれに取って代わったのである」と言う。これはある意味で確かであるが、制限をつけずに受け入れることはできない。一方2つの異なった体系、すなわち時制と相の体系に属する動詞の形式の使用法を比較すれば、このことは確認するのは容易であるので、使用法の類推はカテゴリーの完全な同定の保証とはならない。意味的価値は、考察対象の言語の意味様式の全体系と関連させて十分満足のゆくように決定できるのである。こういう風に考えれば、amare habeoには、amaboにはないニュアンスがある、一方amare habeoはamaboという形式とのみ交替したのではなく、mihi amandum estやamaturus sumという別の理由からその後消失した構文とも交替したのである。
(35)形態的説明は、W.von Wartburgによってそれだけで十分なものとされている。[Problemas y metodos],p.163、「音声変化は、ラテン語の未来形がロマンス諸語で単語の統辞的結合と交替さられた、そしてそれが時間が経つに従い単純形式にもどった原因である」。B.E.Vidosも[Handboek],p.185で同じ立場を取っている、そしてp.192でVosslerの説明を方法論的間違いとしている。この間違いには、(多分資料的事実と解される)言語的事実にあまりにも注意を払わなかったことによるものであろう。しかしVosslerは、《言語的事実》に注意を払っているのは事実である(そして《事実》の説明を、事実そのものに内存しているとする考えを非難するまでになる、4.2.4参照)。
しかし彼は意味的価値の側面から、言語的事実に注意を払っているにすぎない。資料的なものに注意を払うということは、しばしば考えられているように、《事実》に注意を向けるということではなく、逆に多くの場合、言語的に限定された事実の外側に留まる、ということを意味することになる。Vidosは自己の立場を援護するためにPagliaroが留保している事柄に気付かず、彼を2度ばかり引用している(注32参照)。逆に彼は形態的説明の十全性について疑問を持っていた。
G.H.Grandgentは、[Introduccion],p.99で、統辞的未来の資料的欠陥や、-boで終わる形式は、ローマやそれに直接隣接する地域では土着的なものであったという事実を取り上げた後で、彼は可能な《別の原因》に帰すべき必要性を感じている。形態的説明は、もし新しい俗ラテン語の形式を説明し、それらの形式がPagliaroやVidosによって引用されているbigeyの場合のように、交替せられた形式と同じ機能を果たしていれば十分であろう。この交替せられた形式の価値は、(主観的意味ではなく)客観的意味で、交替したgatの価値と同じである。しかしこのことは、ラテン語未来の変革にあてはまらない未来形のまさにカテゴリーとして、《再形成》されたものであり、同じ意味領域にはない。俗ラテン語の迂説的未来は、古典ラテン語の統辞的未来のように1つの未来である、しかしこれは同じ時期においては別の未来である。
(36)[Logica e grammatica],p.20 注1.
(37)言語様式の単なる消滅や出現ではなく、様式の他の様式との交替であるところのあらゆる変化にとって、2つの事実、つまり旧い様式の排除と、何か別の様式とでわなく新しい様式との交替とを説明しなければならない。
(38)[Hauptfragen],p.178-179.およびV.Bertoldi, [La parola quale mezzo d'espressione],pp.260-261を参照。彼は古典ラテン語の未来の資料的欠陥を《付随的要素》とし、Meilletの説明と結びつけてVosslerの説明を受け入れている。またA.Burger, "Sur le passage du systeme des temps et des aspects de l'indicatif, du latin au roman commun", CFC,VIII,1949,pp32-33を参照、かれは新しい未来は、《将来にかかわる》未来を要求していた《共通ロマンス語》の時制の体系によりよく合致していたとしている。Burgerの《体系的》説明は巧妙なものであるが、疑問がないわけではない。事実Burgerは奇妙にもラテン語の未来を《平行的》また《完了していない》ものと考えている、しかし新しい未来は、その初期の頃には、前望的現在(presente prospectivo)のように、より対応していたことには気づいていない。
(39)これはB.E.Vidosが[Handboek],p.192で支持している考えである。
(40)一般に《選択》によって起こった変化について語るということは、ただそれを分類するということであり、それを説明するということを意味するものではない。そしてある特定の場合には、既に知られており誰も否定しないこと、 つまりあるラテン語の形式は、場当たり的(ad hoc)な想像ではなく、 ラテン語の規範に属している別の形式と交替するということを 確認するのと同じことになってしまう。
(41)統辞的形式は、別の適当な形式がないので(色々な価値のある)迂説的形式によって、言い換えれば、話し手の単なる知的怠慢によって交替せられたと考えるのは、除外しておかなければならない。これはW.von Wartburgも[Problemas],p.163で認めているらしいところである、「旧い未来の形式が使用の混乱をもたらすようになると、語句が正しく理解されないという危険よりも、叙法的不正確さが好まれた」。
(42)俗ラテン語やロマンス語と類似の迂説的未来は、ゲルマン諸語、現代ギリシャ語、ブルガリア語、アルバニア語、セルボ・クロアチア語等に見られる。これら大部分の語では、velle(またはたまにdebere)に対応する《助詞》をともなっている。Leo Spitzer, Art.cit.pp.176-177, K.Sandfeld,[Linguistique bulkanique,problemes et resultats],Paris, 1930,p.181. L.H.Gray, [Foundations of Language],New York, 1936, pp.20-21等を参照。
(43)L.Spitzer, Art.cit. p.177, A.Meillet, [Esquisse],p.262. L.H.Gray,[Foundations],p.20等を参照。
(44)Ch.Bally, [El lenguaje y la vida],p.67, L.Spitzer, Art.cit.p.176. A.Meillet,[Esquisse],p.262. Wartburg, [Problemas], p.165のD.Alonsoによる訳注等を参照。
(45)[Logica e grammatica],p.20注1.
(46)Art.cit.p.176
(47)Ibid.pp.177-178
(48)Ibid.p.179. 「人は情緒的混同をみることなく、己の意志範囲を客観的未来へまで押し広げることはできない。この情緒的《添え物》は、どのようにして文法化され純粋な時間的語法となったのであろうか、それは論理がそれを必要としたからである」。
(49)このような主張は、Ballyの言語学的概念の基本的な曖昧さを形成することになる。形式の表現性は、具体的表現目的との関係において測定される、それで冷淡さ、または確実さを適切に表現する言語様式は、他の例えば要求、恐れ、不確実さを表すものよりも《表現性が劣る》とする理由はない。抽象的言語の面における文法の対象と対置して、文体論の対象を限定しようとする、いわゆる《言語の文体論》はこれと同じ欠陥を始めから持っている。《言語》の範囲内には、文体論的(または表現的)領域は存在しない。《表現的》視点からすれば、あらゆる言語的様式は、《表現的価値》を有している。「純粋理性批判」や「精神現象論」は文字通り獲得された著作である、なぜならその表現形式は、《主観的》意味においてすらその表現の目的性に対応しているからである、しかしもし、例えば探偵小説の文体で提示するとすればそうはならないだろう。逆にB.Russellの書いたような哲学史は、なににもましてそのコラム風で保守的な文体のゆえに、煩わしいものである。
(50)言語的《情緒性》とか、いわゆる《論理性》というものは、別々に研究されうる、というのはそれは自律的な異体であるからである(第2章2.4参照)、しかしこれらは別々に所与のものとなっているわけではない。
(51)[Critica del concreto], 3ed.Firenze, 1949, pp.26-31
(52)[El ser y el Tiempo]§65、特にp.376-377
(53)op.cit.p.26. 「具体的なものは、《存在した》、知られているのは、《存在している》、そして感情は、《存在するであろう》;存在と意識は一体であるので、意欲はそれら種々の活動に依存している」。また、p.31,「知っているものとして我々は存在した、感ずるものとして我々は存在している、意欲するものとして、我々は存在するだろう:存在するものの不可分の永続性の中で、我々は存在した、存在するそして存在するだろう(我々が存在するというのは、我々が存在したということの後にあるものではない、 また我々が存在するだろうということは、我々が存在しているということの後にあるものでもない」。Heideggerはもっと複雑にこのことを公式化している、 しかし本質的に違っているわけではない、それゆえ上記のことは、われわれの興味を引くのである。
(54)M.Heidegger, [El Ser y el Tiempo],pp.374-375,377を参照
(55)M.Heidegger, [El Ser y el Tiempo],p.376で、現在、過去、未来に分割されている時間という考え方を、《適切でない》と考えている。事実このような考え方は、もし排他的なものと解し、そして《分割》は《共現存性》とは離れたものと考えるなら適切なものではない。しかし時間の分割は、《共現存性》そのものの必然的否定と解するならば不適切なものではない。実際ある時間のそれぞれの瞬間を共現存せしめている限りは、真性の《共現存性》は、その相関的《分散》なしには所与のものとならない。
(56)特に大部分のロマンス語域で固定されるようになった未来形は、道徳的義務と意欲つまり行われるべきことと、行いたいこととのまったく意味的同定を反映している。事実facere habeoは、同時にfacere debeoとfacere voloを意味している。サルディニア語の未来形はdebeoをともない、ルーマニア語ではvoloをともなっている。後者は確かにギリシャ語の影響によるものである(K.Sanfeld,op.cit.p.180以下を参照)。この2つの形式は複雑な心的態度の単純化を示している。しかしルーマニア語にはhabeo+接続法という未来形もある。一方habere+不定法というタイプの未来は、ルーマニア語では16世紀まで保存されていたようである、しかしそれはすぐに条件法現在と混同してしまう。これに関しては、V.P.Titova, "O Problema litigioasa a morfologiei rominesti(Originea conditionaluliu),《Studii si Cercetari Lingvistice》,X,1959,pp.568-569.
(57)V.Bertoldi, [La parola],p.259. 注1を参照。彼は迂説的未来形は《キリスト時代に》確認されたと2度ほど云っている(p.259とp.261),そしてこれを《キリストの様式》と呼ぶにいたっている(p.259)、しかしこの表現を正当なものとはしていなり。またH.F.Muller,[L'Epoque merovingienne],I. cit.を参照。
(58)[Confessiones],XI, 20(26). しかしながらアリストテレスは、[Parva Naturalia] 499b, 10-12,26-27で、未来には《推定》と《期待》があると確かに云っている。【訳者注:訳文は「告白」(下)服部英次郎訳、岩波文庫p.123】
(59)これはあらゆるロマンス語に当てはまることではなく、ロマンス諸語の内のあるものにとって、当てはまるのである。厳格な統一的《俗ラテン語》という観念および、あらゆるロマンス諸語に共通し、排他的な《基盤》を形成している俗ラテン語という観念は、Ursprachen(祖語)という不幸な概念の残滓である。
(60)これに関しては、W.Meyer-Lubkeの[Introduccion],p.238の明らかな矛盾を思い返すのは興味ある。彼はそこで《俗ラテン語》という間違いやすい用語を使用している、 しかしながら彼は用語上の落とし穴におちないように注意している。 「それですぐに、それが現れる文脈の文体から判断して、俗的な表現が問題となる。しかしその俗的な表現がロマンス語で普及する様相が示すところによれば、洗練された言語活動や文学的文化はその拡大に貢献した、そしてついにこの迂説法は、動詞の時制となり形式が固定された」。L.Spitzerは(Art.cit.pp.173-174)なんらかのロマンス語の新未来形の最も早い時期の固定化は、最も早急な《進展》の指標(および効果)であろうとし、上記の説に反駁せんとしている。しかしこれでMeyer-Lubkeによって支持された説が無効になるということはない。実際いわゆる《進展》の早急さは、説明されるべき事実であり、事実を説明する根拠ではない。
(61)[Problemas y metodos].,p.167. 「旧い未来形の消失と 新しい未来形の創出は、順調に生起するのではなく同時的なものであり、平行して起こり、密接に関係し合っている。habeoをともなって形成される未来形の 漸進的文法化は、 数世紀に亘る結果である。Vosslerは長期にわたる過程をただ1点に投影し、 それによって予期しない結果を得た、しかしこの結果は現実に対応していない。
第5章 了
2001年8月4日
2001年8月10日訂正